ありがとう(2008年09月01日)

肱岡 彩 (ヒジオカ アヤ)
法学部政治学科
第53回「ありがとう」ディレクター

 ありがとう。一日に何度この言葉を口にするだろう。
 辞書を引くと「感謝の意をあらわす挨拶語」とだけ記されている。日常にこの言葉は溢れかえっている。生活にとけ込みすぎて、何の変哲もない、大して気持ちをこめることのない表現になっている。
 まだ肌寒い春先、私たちは都内の公園に足を運んだ。「ありがとう」をテーマに短いVTRを制作するためだ。親子、夫婦、子どもから年配の方まで、公園内には沢山の人がいて、それぞれの時間を過ごしている。どこにでもある日常が穏やかに流れていた。
 そんな人たちにマイクを向け、それぞれの「ありがとう」の気持ちをカメラに向かって語って頂いた。三,四人にインタビューを終え、そろそろ切り上げても良いかなと思っていた矢先、一組の夫婦が目にとまった。インタビューをお願いすると応じて頂けることになった。
 カメラの向こうにいるご夫婦。ご主人の口から語られたのは、こんな言葉だった。「こんな体でね、今まで毎日毎日お世話になってるんだけどね。ありがとうっていう言葉を言ったことがないの。いいチャンスでね、今までどうもありがとうね」。奥さんに向けたその言葉には、ほんわりとした温かさと、今まで伝えることの出来なかった感謝の気持ちが詰まっていた。車椅子生活を送っており、奥さんには支えてもらうことも多いのだろう。いつも心の中では「ありがとう」とおっしゃっているのだろうが、言葉にすることは今までなかった。そんなご主人からの言葉を聞いて「私も初めて聞いたけれど、嬉しいです」と奥さんは笑顔をこぼした。
 普段思っているけれど言えない気持ち。カメラを向けた先からは、そんな気持ちが送られてくる。撮影を始めた当初は、ありきたりな「ありがとう」をテーマにしても、ありきたりな答えしか返っては来ないと正直考えていた。けれどもそんなことはなかった。亡くなった母親に、長生きできる丈夫な体に生んでもらったことを感謝する八十過ぎの男性、母親にありがとうと言う三人の姉妹。どんな人にも、普段口にはしない「ありがとう」が存在した。そして、そんな普段語られることの無い気持ちを語る場、インタビューに応じてくださったご主人の言葉を借りれば「いいチャンス」を作ることが出来たことに、自己満足かも知れないが嬉しさを感じた。そして何よりも、車椅子に乗るご主人とそれを押す奥さんの後ろ姿を目で追いながら「ありがとう」に込めることの出来る気持ちの量、「ありがとう」の言葉の重みを感じずにはいられなかった。

投稿者 webmaster : 2008年09月01日 18:10|

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