日々、一瞬に懸けて(2008年05月02日)

内山 日花李 (ウチヤマ ヒカリ)
法学部政治学科
第49回「伝統の音色 手作り琴レポート-昭島子ども放送局」番組プロデューサー

 ある日帰宅すると、リビングに私のMDプレーヤーが出しっぱなしになっていた。おそらくそれは妹の仕業だった。中学生の妹はブラスバンドに入っている。学校で練習している曲を聴いた後、そのままにしてしまったらしい。
私も中学生の頃は吹奏楽部に入り、高校でも続け、六年間吹奏楽をやり通した。もう嫌というほどやりきったと思った私は、大学生に入った後は吹奏楽部には入らず、吹奏楽からはずいぶん遠ざかっていた。
忘れかけている吹奏楽のサウンドをもう一度聞きたくて、私は思わずMDプレーヤーの再生ボタンを押していた。
耳に入ってくる音のどれもが、懐かしさでいっぱいだった。高らかなトランペットが私をほれぼれさせたかと思うと、私はなだらかな木管の旋律に心をゆだね、木管に寄り添うホルンやユーホニアムの裏旋律に酔う。厚みのある低音を聞こえてくると、私は鳥肌が立ち、シンバルのアクセントは一気に心を高ぶらせる。一瞬、一瞬の音全てが、きらめきだと私は思う。
吹奏楽は、その一瞬のきらめきに命をかけて、膨大な時間を費やし、練習をする。ほとんどの人は、そんなわずかな時間の出来事など見落としてしまうかもしれないのに。中学、高校を通して、そんな途方もない作業を私はやり続けていた。
大学生になって、吹奏楽とは離れてしまったけれど、私はあの頃とたいして変わらないことを結局はやっているように思う。映像制作という、やはり途方もない作業を。
私は、五月放送の番組プロデュ―サーを務め、その途方もない作業に一ヶ月間奮闘した。プロデューサーは、多摩探検隊のオープニングとエンディングを制作し、一本の番組として完成させるのが仕事だ。本で言えば表紙と裏表紙を作る仕事。いわば、番組プロデューサーの仕事とは、「製本」する仕事とも言える。
プロデューサーを経験した一ヶ月間は、小さなこだわりの積み重ねだったと思う。撮影では、殺風景で暗い和室をどうにかしなければと、照明の向き、光の強さをああでもない、こうでもないといじる。ひょっとすると気付かないような床の間の隅には、さりげなく花を添えてみる。花粉症で鼻の詰まるキャスターに、「ごめん、あともう一回」と何度も台詞を読ませ、キャスターの衣装の色は、ピンクか、緑か、はたまた赤かと悩む。
編集になれば、テロップの色は、音のボリュームは、次のカットの入り方はと、やり始めればきりがない。撮影よりもずっと、こだわらなければならないことが山ほどある。
すべてはテレビに流れる一瞬、一瞬の画を完成させるために。
だから、吹奏楽も、映像制作も私には重なり合って見えてくる。どちらもあきれるほどきりがなくて、究極的には終わりがない。ゴールが見えないマラソンほど、辛いことはない。そのくせ、苦労した一瞬は、第三者にとってももちろん一瞬の出来事として終わる。
こんな骨の折れる作業を、どうして私は今も昔もやり続けているのだろう。それはきっと、たとえこだわりぬいて、きらめいたものが一瞬だったとしても、それらが作品の中で積み重なって、束になることで、大きな感動やメッセージが創られていくと思うからだ。残念ながら実際は、制作しながらこんな壮大な使命を意識する余裕はないのだが。
苦しいけど、やめられない。今の私にとって映像制作はそんな言葉が似合っている。

投稿者 webmaster : 2008年05月02日 00:00|

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