8年後の彼らに(2008年04月02日)

板倉 拓也 (イタクラ タクヤ)
法学部政治学科
第48回「クジラを探して大冒険!!-昭島子ども放送局」番組プロデューサー

 「そういえば、小学生のころ、近所の大学生と毎日遊んでた時期があったっけ」
夜遅くまで、見あげるように大きい大学生とサッカーやドッヂボールをしていた日々。完成した「子ども放送局」のVTRを見ながら、ふと思い出した。
子ども放送局とは、小学生・中学生が自分の住む町をレポートする番組をつくるプロジェクトである。大学生はTA(Teaching Assistant)として子どもたちをサポートする役割を担い、企画、撮影、編集は小中学生が行う。時が経つのは早いもので、今では私も思い出のなかの大学生と同じ年になった。そして、子ども放送局のTAとして、かつての私と同じ年の子どもたちとふれ合うようになった。
 二〇〇八年度は、七月に福井県で「高浜子ども放送局」が、十一月と二月に東京都の昭島市で「昭島子ども放送局」が行われた。私はそのうちの二回の昭島子ども放送局に携わった。
今だからこそ言えるが、最初子ども放送局のTAをすることは億劫だった。子どもとどう接すればいいのかわからない。きちんとまとめることができるのか、という不安もあった。
しかし、この思いと裏腹に、私は昭島子ども放送局のTAを務めることになった。理由は簡単だった。各々のスケジュールを考えたうえで、TAをできそうなのが私しかいなかったのだ。
決して本望とは言えない形でTAになった私は最初、子ども放送局に対する不安を払拭しきれずにいた。しかし、十一月、二月と二回の子ども放送局を経験していくにつれ、それらの不安はあまり感じられなくなっていった。
もちろん不安はあったが、それを感じなかったのは、私のなかでいつの間にか、子ども放送局に対する不安よりも期待のほうが勝るようになっていたからだろう。
子ども放送局に対する期待。それは、撮影を通して、目に見えて成長する子どもたちの姿に立ち会える、という期待である。最初は、TAが助言しないと出てこなかった取材相手への質問が、二月の子ども放送局のときには、メモをとるのが追いつかないくらい次々とでてくる。用意されたルーズリーフは、質問を書いたポストイットでいっぱいになった。また、大学生のあとに続いてしかあいさつできなかった子どもたちが、終盤にもなると何も言わないでもあいさつできるようになっていた。
きっと、これらのことは決して私たちのサポートでできるようになったというものではなく、子どもたちが自然に習得していったものだろう。そうだとしても、子どもの成長を実感できることに、TAの喜びを感じた。
おそらく参加した子どもたちは、かなり特異な体験をした小学生ということになるだろう。大学生といっしょに町を歩き、知らない人にインタビューする。決して学校の授業では体験できないことばかりだ。
子どもたちが二十歳になるまで、あと八年。子ども放送局は、これからの彼らの成長のために何かを残すことができたのだろうか、なんてことを考える。
でも、子どもたちが今の私と同じ歳になるころ、
「そういえば、小学生のころ、大学生と子ども放送局なんてやってたっけ」
なんて、ふと思い出してくれたら、それだけでうれしい。

投稿者 webmaster : 2008年04月02日 00:00|

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