踏み出した一歩の先に(2007年08月01日)

舘小路 美保 (タテコウジ ミホ)
経済学部産業経済学科
第40回「湯の花トンネル列車銃撃空襲」ディレクター

多摩探検隊の企画を考えていた6月の上旬、八王子市の図書館で多摩地区の戦争について調べていると、偶然一冊の本をみつけた。「中央本線419列車」という本である。太平洋戦争中の昭和20年8月5日、八王子市裏高尾町のJR中央本線・湯の花トンネル付近で、新宿発長野行き419列車が米軍戦闘機P 51の銃撃による空襲を受けた。本の内容はこの空襲の体験者や犠牲者の証言で構成されていたのだが、膨大な情報があるとともに、あまりに悲惨な出来事であるため番組としてうまく成り立たせることが出来るのかと思い悩んだ。しかし、やってみなくてはわからないと自分に言い聞かせ、取材を進めることにした。
本は15年前のものだったため、執筆者である齊藤勉さんの連絡先を得るにも一筋縄ではいかなかった。ようやく連絡がつき、齊藤さんにこの空襲に関連する人々を紹介してもらいながら、電話連絡、アポイントメント取り、取材・撮影を繰り返した。初めての相手への電話は慣れることはなく、その度に緊張していた。

特に、この空襲で姉を亡くした黒柳美恵子さんへの電話や取材は落ち着かなかった。419列車に姉妹二人で乗り、姉の良子さんだけが米軍の銃弾を受けて即死したという事実だけは事前に知っていた。62年の歳月が流れたとはいえ、身内を目の前で亡くしたという心の傷を容易に打ち明けてくれるのか、取材をすることによって再び悲しい思いを蘇らせてはしまうのではないかと懸念していた。

美恵子さんと池上駅で待ち合わせをし、姉の良子さんが眠る墓に向かった。私の心配とは裏腹に、美恵子さんは質問に対し淡々と答えてくれたが、それでも私の懸念は消えないまま撮影は進んでいった。
もう撮影が終わろうとする時だった。美恵子さんがお墓に向かって言った。「よかったね、こうやって若い人が私たちのことを聞きにきてくれたよ。ありがたいね。望んでいたような平和な日本になったよ」。次の瞬間、私の心に熱いものが込み上げていた。美恵子さんがこの出来事を伝えることは悲しみを乗り越える術でもあり、そしてそれを受け止めることが私には出来たのだと実感した。一気に緊張の糸がほぐれ、安堵した。取材にきて本当によかったと思えた。

恐る恐るかけた電話や向かった取材でも、その先には新たな世界が広がっている。振り返れば「多摩探検隊」からは多くの出会いや感動を作るきっかけを与えてもらった。しかしそれを作り上げていくのは自分次第なのだとあらためて感じた。私の踏み出した一歩が誰かの喜びと私自身の喜びに繋がる可能性があるのだ。

投稿者 webmaster : 2007年08月01日 12:00|

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