タマタンで学んだこと(2007年05月01日)

平澤 恵梨 (ヒラサワ エリ)
総合政策学部政策科学科
第35~37回制作者

私は、多摩探検隊初めての大役を引き受けることになった。それは2月から4月にかけて、番組制作において責任あるプロデューサー、ディレクターの役に3回連続で挑む、ということだ。多摩探検隊は、毎月制作する人が変わり、中には一回しか経験しない人や制作しない人もいる。タマタン史上初めての試みが、私に出来るのだろうか。幾度も不安がよぎった。
多摩探検隊が完成するまでは、長い道のりがある。まず、放送レベルのVTRに仕上げ、次に10分間の番組にVTRを組み編集する。最期にケーブルテレビ局に納品する。ケーブルテレビに学生が番組を持っているのは多摩探検隊だけである。アマチュアの学生にとって、一つの番組を仕上げることは大変だ。期日に間に合わせることの責任はとても重い。失敗したら、番組が自分の回で終ってしまう。いつもこのプレッシャーと戦いながら制作をしている。私は、この精神的辛さと3ヵ月間ずっと戦い続けた。
最初の回の撮影終了は、納品6日前。普段なら、追い込みに入り、音など細かい部分を編集しているべき時期この日、私たちは撮影した映像すらチェックをしていない状態だった。番組プロデューサーの私は、不安でいっぱいだった。ディレクターは連日ゼミ生の家に泊まりこみ寝ずに編集をしていた。私も応援に行くと、身も心も疲れ果てていた花粉症のディレクターが、はいつくばって編集をしていた。彼の限界が来たら他の仲間が代わって編集したり、チェックをしたり、買出しにでかけたり。完成に向け、みんな一丸となっていた。私はそんな必死な彼らをみていたら、いつの間にか不安は消えていた。そして「必ず成功させてみせる」と、誓った。努力の末、この回はVTRも面白く、ハッピーエンドだった。
しかし、私は達成感を味わう間もないまま、次の月の番組プロデューサーを務めることになった。今回は、前回ほど苦労しないだろうと私は鷹をくくっていた。しかし、スタジオ撮影を失敗した。一瞬の気の緩みが失敗に繋がることを実感した。今でも悔しさが残る。
そして、今度は落ち込む暇もないまま、次のディレクターを務めた。完成した時は、「もうやりきった!」と、達成感と安堵感でいっぱいだった。
制作に関わり続けた3ヵ月間、私は「頑張ればできる」「スケジュール管理と気合いが大切だ」ということを学んだ。時には、プレッシャーに押しつぶされそうになったこともあった。しかし、自分自身に「超えられない壁はない」と言い聞かせ、自分を励ましながら頑張りぬくことができた。また、納品するまでの厳しさは、多摩探検隊を通して社会に関わる責任の重みを教えてくれた。これは、大学の授業だけでは学ぶことができないことだろう。教科書には「責任を全うする方法」や「困難に打ち勝つ方法」など載っていない。自分で身をもって苦労し、考え、乗り越えて始めて分かることなのではないか。苦労は多かったが、生きた勉強ができ、貴重な体験になった。これからも多摩探検隊を通し、教科書には載っていない大切なことを学んでいきたいと思った。

投稿者 webmaster : 2007年05月01日 12:00|

コメント

コメントしてください




保存しますか?