熱こもる場所(2006年08月01日)

狩野 智彦 (カノウ トモヒコ)
総合政策学部国際政策文化学科
第28回「61年目の祈り~青梅に墜落したB29~」

お世話になった取材先に番組を収めたビデオを届けた帰り道。青梅線のオレンジ電車に揺られながら、番組制作を終えた達成感と退屈な日常に引き戻される憂鬱さに包まれて、私は車窓を流れる景色をぼんやりと見つめていた。「B29が墜落した山がある」と耳にし、地元の人たちの話を聞いて歩いてから、ちょうど1ヶ月が経ったときだった。

今回の「多摩探検隊」は、青梅市柚木町の山中に墜落したB29をめぐる秘話を取り上げた。取材を進めると、1945年4月2日に日本軍の高射砲攻撃によって被弾したB29には、11人の搭乗員がおり、そのうち6人は落下傘で脱出したが、5人は機体とともに山中に墜落したことが分かった。
さらに、死んで無造作に埋められた米兵を「亡くなれば同じ人間。丁重に葬るべき」と説いた作家・吉川英治の逸話や、墜落現場に慰霊碑を建てた人と生き残りの米兵との交流なども知ることができた。それらは、たとえ敵対しあっていたとしても、最後には「同じ人間である」と尊重しあうことが平和への第一歩であることを教えてくれたのだと思う。

梅雨空がようやく青空になり始めたその日、私は再び青梅の地にいた。脱出した米兵の目撃談を伺った須崎ヒロさんに、完成した番組を見てもらうためだ。彼女はVTRを見ながら、もう一度「そうだった、そうだった」と記憶の断片をつむいでいった。

終戦迫る1945年4月。当時26歳だった須崎さんの家の裏山から、米兵が突然現れた。ひどい火傷で服なども破れており、みすぼらしかったという。「何だか実際よりずっと大きく見えた。いま思い出してもこわい」と回想する目には、涙が浮かぶ。彼女は米兵のその姿に、敗戦が色濃い日本に立ちはだかる「巨大な国・アメリカ」を投影したのかもしれない。61年たった今でさえ、こころがかき乱される。そんな思い出を語ってもらったのだ。この番組は彼女にどう映ったのか。彼女の気持ちを傷つけはしまいか。

「良いものにしてもらってありがとう」。私の杞憂を尻目に、彼女はそう言って微笑んでくれた。そして「あんたはこういうの作るのが好きなのかい?」と、安堵している私に問いかけた。頷くと、「若さは宝だからね。好きなことをやるんが一番いいよ。熱がこもるところを探せたらいいねぇ。わたしは畑だよ」と笑って、お茶をすすった。

寺山修司監督の映画『書を捨てよ、町へ出よう』は「映画の中には、何もないのだ。さあ、外の空気を吸いに出てゆきたまえ」というセリフで始まる。私も大学の教室にいるより、街を歩いて人と話すほうが好きだ。授業や本で見聞きする二次情報より、街で自分が発見する一次情報に魅力を感じる。自分がより近い位置でその事実と向き合えるからだと思う。

いまにして振り返えれば、確かに多摩探検隊の活動を始めて「楽しい・嬉しい」と感じることが多かった。そして、何より熱意をこめられたと思う。しかし、そうは言っても、人の話を聞いて歩くことが自分に適しているかどうかは分からないし、自分にそんな力があるのかと不安や悩みを抱くときもある。それでも、退屈な大学生活のターニング・ポイントが多摩探検隊であったことは間違いない。

いつまでも熱意を持ち続けること。それは一番大切なことであり、一番難しいことだ。私の熱が最もこもるところはどこか。生温かくけだるい帰り道、ガタンゴトンと電車に揺られながら、今のところは多摩探検隊か、ぼんやりと考え込んでしまう私だった。

投稿者 webmaster : 2006年08月01日 12:00|

コメント

コメントしてください




保存しますか?