「戦争」というテーマに向き合うこと(2006年08月02日)

井上 圭介 (イノウエ ケイスケ)
法学部法律学科
第28回番組プロデューサー

気が進まない。
今だから明かせるが、今回の番組プロデューサーに任命されたときはそう思った。
8月放送の「多摩探検隊」は、就職活動がひと段落した四年生が「戦争」をテーマに番組作りをすることになっていた。終戦60周年という節目であった昨年、先輩の力作が生まれたことからできた慣例である。しかし、61年目という中途半端な時期に特集を組む理由が当時の私には思い当たらなかったし、せっかく夏なのだからもっと明るいテーマで番組作りがしたい、というのが本音であった。とはいえ一度引き受けた以上放棄するわけにもいかず、なんとかしなければならないという義務感から、番組制作は始まった。

しかし調査・取材を進めていくにつれて、自分が知らなかったの戦争の姿が次々と明らかになっていった。
今回いろいろな方にお話を聞いたのだが、同じ戦争を体験したといっても、当時住んでいた場所や年齢によって感じ方が全く違うことに驚かされた。兵士として軍人教育をたたきこまれ国のために死ぬ覚悟を決めていた少年もいれば、燃えさかる爆撃機が向かってくるのをみて「戦争そのものが飛んできた」と感じた少年もいた。アメリカ人を敵視していた人もいれば、同じ人間として扱った人もいた。私は、戦争に伴う感情は悲しみやつらさなど暗いものだけだとどこかで決め付けていたが、実際には体験した人の数だけ戦争の姿があり、それに伴う複雑な思いがあったのである。いくら取材しても伝えきれないものが、このテーマにはあることを思い知らされた。

話を聞きながら、いつかこれが聞けなくなる日が来るのか、とつい考えてしまった。戦争があったという事実は残ったとしても、この人たちが感じたことは何も残らず消えてしまう、そのことが心底惜しいと思った。そして、戦争を体験した人々の証言を映像で残していくのが、今の私たちにできることではないだろうかと考えるようになった。ようやく戦争を取り上げる意義が私の中に芽生えていた。
確かに、我々の世代は戦争を知らない。しかし同時に、戦争を知る世代と語れる最後の世代でもある。今後この国で再び「戦争を知る世代」を生み出さないためにも、彼らの言葉を伝えていくのは、次代を生きる人間としての責務ではないだろうか。私はその思いを胸に番組制作を進めた。

その後、番組は完成し無事放送されるに至った。今回はいい作品の制作に携われたことはもちろん、自分が戦争について考えるまたとない機会になった。
十年後も百年後も、また8月はやってくる。その度に人々は、そして私は何を思うのだろうか。番組プロデューサーとしての仕事を終えた今でも、私の戦争に対する興味は尽きない。

投稿者 webmaster : 2006年08月02日 12:00|

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