伝え続けるそのわけは(2006年05月01日)

藤井 智子 (フジイ トモコ)
法学部政治学科
第25回「武蔵村山物語」ディレクター

私たち「多摩探検隊」は多摩地区の地域情報番組を作っている。地域に住む人やお店、建造物などを紹介し、そこに存在する物語を掘り出していくのだ。多摩探検隊を始めて一年、私はこのことの大切さをやっと理解できたような気がする。
去年の12月、映像を作ることになり、ネタを探していた時にある新聞記事が目に入った。「東京都武蔵村山市で郷土カルタが完成した」というもので、市全体から町に関する句を募集したらしい。武蔵村山市は東京で唯一鉄道が通らない町で、多摩探検隊でも取り上げたことのない町だった。そんな場所で一体どんなカルタが出来たのだろうと思い、カルタ作りを呼びかけた市民の方にお話を聞くことにした。カルタ作りの中心となった人は女性の方で、武蔵村山には40年以上も住んでいる。彼女は「武蔵村山はあまり知られていないけれど実はとても素晴らしい歴史や文化がある。それをみんなに知ってほしい」という思いから活動を始めたという。私は彼女のその言葉に魅力を感じ、カルタに描かれている場所を調べてみようと思った。
カルタを購入し、まずは自分の興味の持った場所へ行ってみようと思った。一番興味深かったのが「東京陸軍少年飛行兵学校」に関して書かれていたものだ。武蔵村山には戦時中、少年飛行兵学校があり、そこから多くの若者が出兵していった。その学校の正門があった場所に現在は石碑が建てられているということだったので、早速見に行くことにした。てっきり、私は道の目立つ場所に広いスペースが確保され、そこに堂々と石碑が立っているものだと思っていた。しかしいざその場に立ったとき、私は愕然としてしまった。なんの変哲もない住宅街の十字路。なんの変哲もない植え込み。そしてその中に、なんの存在感もなく石碑が立っていたのである。景色の一部になってしまっている石碑は、注意を向けないと視界には入ってこない。まして刻まれている「東航正門跡」などという文字を、人々が読むとは思えない。この石碑はこのまま誰も注意を向けなければいつかなんの意味もなくなってしまうのではないか。そんな危機感を覚えた。だからこそそれらをカルタに残そうと思ったのだろう。「知ってほしい」と語った彼女の言葉の意味が分かった気がした。その時私は、このカルタを題材にした映像を作ろう、そう思ったのだ。
今回ディレクターを務めた「武蔵村山物語」で私が一番心を込めて作ったシーン、それは五枚のカルタを紹介するところだ。100年以上前からある三本の榎や古い歴史を持つお寺、そしてあの「飛行兵学校」の句も紹介した。私はここで、自分の身近な所にそれぞれ歴史や物語があり、その全てに知る価値があるのだと伝えたかったのだ。武蔵村山という身近でも全く知らなかった場所に、私は45もの物語を発見する事ができた。「カルタはこの町でずっと、受け継がれていくでしょう」と映像を締めくくった言葉は、伝え続けてほしいという私の強い思いを表した言葉である。完成した映像を上映し、「武蔵村山ってこんな所なんだ」と言われた時、そう、そう感じてほしかったのと達成感で胸が溢れ、思わず泣きそうになってしまった。
そこに人の思いがある限り、そこに物語がある限り、私は伝え続けたい。今回その大切さを知った私は完成した映像を見ながら、自分がこれから何をすべきか、分かった気がした。

投稿者 webmaster : 2006年05月01日 12:00|

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