番組プロデューサーを終えて思うこと(2006年05月02日)

森田 智子 (モリタ トモコ)
総合政策学部国際政策文化学科
第25回「武蔵村山物語」プロデューサー

番組プロデューサーはディレクターの延長線上にあると考えていたのがそもそもの間違いであった。以前ディレクターを務めたときは自分が納得したときが作品の完成するときだった。しかし番組プロデューサーはテレビ局との約束の日までに絶対に番組を完成させなければならない。その責任は重く、納品日が近づくにつれてプレッシャーとなって私の上にのしかかっていった。

五月らしく、すがすがしく。スタジオはカメラを二台使って撮影し、セットも普段テレビで目にするようなスタジオに少しでも近づけるように。この二つが、番組プロデューサーになったときに設定した自分なりのゴールであった。また、私が担当した五月放送分は、多摩探検隊が放送開始してからちょうど二周年という記念すべき回でもあった。一周年の時は総集編となっており、番組全体も一周年スペシャルと銘打たれていた。しかし今回は「武蔵村山物語」という、武蔵村山市の市民によって作られた郷土カルタにまつわる話だった。自分なりの目標と、カルタと二周年をどう関連付けるか。自分が担当する1分半にこれらすべてを組み込むのは私にとってパズルを解くように難解であった。

番組プロデューサーを務める上で一番の葛藤は時間であった。いざ撮影期間に入った4月の中旬。晴れ渡った空を撮ろうと早起きをして窓を開けると、外は灰色に染まった空に土砂降りの雨。あわてて朝刊を見ると、週間天気予報には傘マークがずらりと並んでいた。撮影の予定を立てるときは天気に気を配る。前回ディレクターを務めたときにも学んだ教訓のはずだった。雨がやんだ合間を見計らって撮影に繰り出してみても、やはり晴れ晴れしいといったイメージとはまったく違った映像しか撮れなかった。連日の雨で撮影ができずに足踏みをしている間にも、納品の日は確実に近づいていた。

スタジオ撮影も思うようにはうまくはいかなかった。一番苦労したのは前回の番Pが苦しんだのと同様、照明だった。今回は照明を立てずに自然光を取り入れて、あとはカメラの設定で明るさを増すというのが当初の予定だったが、撮影時にカメラに映った映像とパソコンの編集画面で見る映像とは明るさが異なり、撮り直しをしなければならなかった。早朝から長時間にわたってのスタジオ撮影が何度も行われたが、自分が思い描いていたようなスタジオが撮れずにいた。

その後、オープニングとエンディングで5月らしさをだすことと、多摩探検隊の二周年カルタをキャスターに詠んでもらうことで「二周年」「カルタ」「5月」というキーワードを組み込み、無事にテレビ局との約束の日に納品をすることができた。番組プロデューサーという仕事を経験することによって、指定された日に完全な状態のものを絶対に納品するという、より実社会で求められる映像制作を学んだように思う。好きなだけではなく、社会のニーズに応えられなければならないということを教えてくれたのもまた、番組プロデューサーという役割であった。

投稿者 webmaster : 2006年05月02日 15:01|

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