書を捨て、鳥小屋へ(2006年04月16日)

山成 耕太 (ヤマナリ コウタ)
商学部商業貿易学科
第21回「多摩で味わう!至福の時間(とき)」リポーター

その日の出来事を、まるで昨日のことのように覚えている。

雲が空を厚く覆い、手袋無しではバイクを運転出来ない位寒い日だった。時刻は午前8時。小学生は学校へ、大人は会社へ足を運ぶ中、私は鳥小屋へ通うのが日課になっていた。私を含め3人いるメンバーの内、今日は自分が最初に鶏の元へ到着したようだ。

それにしてもなぜ大学でも、バイト先でもなく鳥小屋なのか。それは「産まれたての卵を使って卵かけご飯を食べてみたい」。そう私が思いたったことにはじまる。卵を得てから、食べるまでの過程をビデオカメラに収めたらきっと面白いに違いないと思ったのだ。

まずは卵を産む鶏を飼う家を探さなければならない。早速、多摩の街に繰り出し、道行く人に手当たり次第尋ね歩いた。6、7人に聞いただろうか。ようやくたどり着いたのが、今回協力してもらうことになった一軒の農家だった。淺川の辺に佇むその農家の庭の一角に鳥小屋はあった。予定外だったのは中にいるのが鶏ではなく、うこっけい(ニワトリ科の一種)だったという事だけだった。

しかし、うこっけいは鶏よりも年間に卵を産む数が少なく、且つ、栄養価も高いことから希少価値が高いらしい。「これは贅沢な卵かけご飯になりそうだ」。そう思った日から、ちょうどこの日で9日目を迎えようとしていた。

私の次に姿をみせたのが豊田君だった。豊田君は鶏を前にするなりこう言った。「いつもと鶏の鳴き声が違うね」。
そう言われてみればそうかもしれない。しかし、別段気にはとめなかった。何せ今までにも卵を産む前兆かと思われるものが何度かあったからだ。期待しろというほうが無理である。

それでも、いつ卵が産まれてもいいように白米の用意だけは欠かさなかった。毎朝、炊飯ジャ-のスイッチを入れる瞬間だけ「今日こそは・・・」と、力が入ったものだ。しかし、その願いも事々く打ち砕かれてきた。そしてちょうどこの日、白米の準備をしてくる当番には私があたっていた。

簡単に何カットか撮り終えると私は鳥小屋から少し距離をおいた。いつものように時間だけが経過していくと思ったからだ。一方、鶏の異変を訴えた豊田君はまだ気になるのだろう、鳥小屋から離れようとはしなかった。

午前9時過ぎ。ようやく目覚め始めた住宅街に、興奮と歓喜が入り混じった豊田君の声が響いたのはそんな時だった。「生まれてるよ」。その言葉をどれほど待ち侘びただろう。卵の形をこの目で確認すると、直ぐにカメラに向かって喋った。あれだけ苦痛だったレポートのコメントが口から流れるように出て来た。そして、木箱で作った即席のテ-ブルで、至福の朝食を頂いたわけである。

鳥インフルエンザが世界を席巻している。ブラウン管の向こうに見える鶏の姿が威容に恐ろしく見えるのは、何も私だけではないだろう。どことなく鶏達の目も怯えているように感じる。一時、ゼミ内でもそんな社会情勢を反映して今回の企画を続行するかどうかの是非が問われた。視聴者あっての放送、我が身あっての企画である。中止になるのはそれはそれで仕方がない。

しかし、私達は日々、鶏の恩恵を受けて生活している。その事実は忘れてはならないし、直視しなければならないと思った。そして、そんな今だからこそ、放送する価値があるのではないかとも思った。

卵が産まれてから数日後。再び鶏の元を訪ねた。そして、お世話になった飼い主の方と柔らかな日が当たる縁側に腰をかけ、しばらく話をした。戦争当時の話から、たわいのない世間話まで。話しが、最近の犯罪の低年齢化に関して及ぶと、老人はこう言った。「最近の若者は我慢という言葉を知らん。しかし、君達はよく待った。いつ来なくなるのかと思っていたよ」と。

作品の完成を迎えた時には、色づき始めたと思っていた葉も散り、辺りはすっかり冬の様相を見せていた。季節は移り変わる。しかし、三人で鳥小屋へ通った9日間、そして老人から投げ掛けられた言葉は決して枯れることはない。

投稿者 webmaster : 2006年04月16日 22:48|

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