八王子の酒蔵・中島酒造を取材して(2006年02月02日)

Miho Tatekoji舘小路 美保 (タテコウジ ミホ)
経済学部産業経済学科
第22回「シリーズ多摩の酒③ 中島酒造」ディレクター

今回私は、「多摩探検隊」で多摩の酒シリーズ第三弾を企画した。この大都会東京に酒蔵があるというイメージはあまり無い。だからこそ東京・多摩の酒蔵に以前から大変興味を抱いており、自らの手で取材してみたかった。

私が取材をしたのは八王子の西端にある、中島酒造という酒蔵である。取材・撮影を依頼した時は12月の上旬で、丁度仕込みの時期だったのだが、先方は快く取材を許可してくれた。
事前取材で初めて中島酒造を訪れ目の当たりにした時は、正直驚きを隠せなかった。以前多摩探検隊で放送した二つの酒蔵とは違い、規模は想像していたより小さく、佇まいもあまり酒蔵らしくなかった。お決まりの試飲所も、酒蔵を訪れる観光客の気配もまるで無かった。しかし中にはいってみると、やはり酒蔵である。米を蒸す湯気がたちこめていて、酒の甘くいい匂いが漂っていた。その中で熱心に作業をする酒造り職人さん達がいた。中島酒造の酒造り職人さんはたった三名なのだそうだ。人数が少ないのでは?と感じたのだが、この人数は中島酒造の規模には相当しているらしい。

今回の取材で一番会いたかった人物がいた。それは中島酒造の社長さんである。下調べをしていたとき、中島酒造の社長が女性でしかも88歳であるという情報を得ていた。その女性がおそらく中島酒造の歴史やあり方を語ってくれるだろうと思っていたのだ。
中島酒造の女社長・千鶴さんは、初めカメラを嫌った。その一番の理由は、千鶴さんご自身は中島酒造の宣伝等は一切したくないということからだった。規模は小さいけどそれでいい、大量生産や儲けのためにウチはやっているわけじゃないから、と言っていた。しかし私達がそういう目的で取材を依頼したわけではないこと、単純に中島酒造のありのままを伝えたいという旨を話し、おそらく学生であるということも考慮してくれたのか、千鶴さんにカメラを向けることを許可してくれた。

千鶴さんは八王子で生まれ育ち、ずっと中島酒造を見守ってきた。中島酒造は200年も前に創業開始した歴史と伝統ある酒蔵である。実はそんな中島酒造は戦時中の八王子空襲で一度全焼している。その酒蔵を復興したいと、周囲の木を集めて現在の酒蔵を建てたらしい。中島酒造が木造建築である所以だ。千鶴さんご自身、モノづくりが大好きで、その一つとして酒造りがあるのだそうだ。だからどうしても酒造りを辞めることができなかったという。戦争体験を語る表情は少し寂しく見えた。しかしどうも千鶴さんからは私達が想像する88歳とは思えないパワフルなオーラが出ていた。そして何より元気なのだ。話は中島酒造のことから千鶴さんご自身の話に展開していった。なんと千鶴さんは人口の国際語であるエスペラント語の資格保持者であり、世界大会にも出場経験があるという。そして様々な国に足を運ぶ国際的な女性なのである。しかもエスペラント語の勉強を始めたのは70歳くらいかららしい。同じく撮影に同行していた先輩の一人がすかさず質問を投げかけた。
「その行動力の源は何ですか?」
すると千鶴さんはこう答えた。
「好奇心。」
私はその一言を聞いて千鶴さんがかもしだすパワフルなオーラに納得した。それと同時に中島酒造を支えているものは、そういった千鶴さんの好奇心なのだと理解した。けして容易ではないゼロからのモノづくりを楽しむという考えが、中島酒造全体の雰囲気に行き届いている。規模は小さいながらも家族のようにわきあいあいと酒造りをしている中島酒造の人々は、他では味わえない楽しみを味わっているのだろう。
最後に、千鶴さんに今後の中島酒造についてうかがってみると、
「私が生きている内に(中島酒造が)潰れないでくれればそれでいい。」
と笑って答えた。

私は心の中でつぶやいた。どうか、千鶴さんの好奇心の賜物がいつまでも続きますように、と。丹精こめてつくられた中島酒造の酒は千鶴さんの生きている証である。

投稿者 webmaster : 2006年02月02日 12:00|

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