私が感じた「番組プロデューサー」という仕事(2005年12月01日)

舘小路 美保 (タテコウジ ミホ)
経済学部産業経済学科
第20回番組プロデューサー

「何を撮っておられるのですか?」
私が草花にカメラを向けていると、道行く人が私にそう尋ねた。

番組納品日間近、これらを撮り終えて早く編集しに学校に戻らなければと焦っていた私は、うまく質問に答えられず、ただ黙っていた。自信も元気もその時はすっかり失っていた。そうするとその人は少しつまらなそうに、その場を跡にしていった。

思えば私が第20回の番組プロデューサーに決まったのは、番組を納品しなければならない日の一ヶ月以上前だった。時間的にたっぷりと余裕があったし、自分で是非プロデューサーをやりたいと思って始まったことだったので、モチベーションはかなり高かった。スタジオの場所も自分の足で近辺を詮索し、番組で使うVTRの候補も決まり、準備は万全のはずだった。

スタジオの場所が決まったらすぐにそこへカメラを持って乗り出した。10月中旬の東京の木々はまだ青々としていて、気温も暖かく、気分はとても穏やかだった。カメラを回していると、道行く人に「何を撮っているの?」と聞かれた。私はたまらなく嬉しくなって、多摩探検隊のこと、自分が今何をやっているのかを一生懸命話した。その時は心に余裕があったのだ。汗をかくくらい、夢中でカメラを回した。カメラを回すことが楽しくて仕方なかった。自分のシナリオ通りにやれば、何とかうまくやれるだろうと思っていた。しかしそれは、単なる自信過剰と自分本位に過ぎなかった。うまくやろうという気持ちだけが先走って、番組プロデューサーとして本当に大事なことをわかっていなかったのだ。それはまさに、番組を「プロデュースする」ということだった。

それに気づき始めたのは、納品日の一週間前だった。当初第20回で使用しようと思っていたVTRが納品日の一週間前にまるっきり変更になったのだ。今まで撮影していたスタジオが使えなくなったことは勿論、自分が考えていたシナリオも全て白紙になった。その時に初めて、自分が番組プロデューサーとしての役割が何も果たされていなかったことに気づいた。自分のシナリオを徹底させるには、第一にしっかりと番組のためにVTRを作ってくれる人を動かし、サポートすることが最優先だったのだ。自分が作品を作るためにうまくやれればいいとか、それに没頭してればいいとか、そういった考えは切り捨てなければならなかったのだ。

しかしそれに気づいた時にはもう納品日が差し迫っていた。冷静にならなければいけないと思えば思うほど、自分の中の焦りと不安は高まるばかりだった。1ヶ月前に撮影した時より、辺りの木々は色づき、外の寒さも身にしみるようだった。1ヶ月前とは気分も全く違っていた。だから、道行く人との会話も楽しむことができなかったのだ。心に余裕がなかった証拠である。それでも、何とか仲間や先輩のサポートを受け、無事に納品することができた。しかし、自分の仕事が終わった後も、何かやりきれない気持ちでいっぱいだった。

番組プロデューサーという仕事は、多摩探検隊という「番組みを組み立てる」仕事なのである。それは「自分のため」の仕事ではない。私達が地域と触れ合い、それを伝えることで見ている人に地域に触れ合ってもらう、その多摩探検隊の意義や魅力をプロデュースすることが私の役割だったのである。以前に一つのVTRを作った時よりも更に今回番組プロデューサーをやってみて自分はあまりに未熟であると感じた。しかし、経験というものは何にも変えがたい宝物である。この失敗や経験を生かし、更なる挑戦をしていきたい。その前提にあるのは、やはりこういう仕事が好きだからである。今度撮影中に道行く人に話し掛けられたら、自信を持って自分達の活動を話したいと思う。

投稿者 webmaster : 2005年12月01日 12:00|

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