伝言(2005年08月01日)

阿部 公信 (アベ キミノブ)
法学部政治学科
第16回「60年目の記憶~多摩地区に残る戦争の傷跡~」ディレクター

「戦争の傷は死なないと消えない」。
戦争で父親を亡くしたというその女性は、生前の父親との思い出を語った後、ぽつりとそう呟いた。私は、戦争を知らない。しかし、想像することはできる。「愛しい人が急にこの世から消えてしまうのだ。しかも、理不尽な戦争によって。誰だって、悲しいはずに決まっている」。いろんな想いが頭の中を交差した。しかし、その想いを言葉として発することはできなかった。私は、ただ黙って、彼女の言葉を噛み締めていた。
 
2005年8月に放送された「多摩探検隊」は、終戦60年という節目の年に合わせ、「戦争と平和」をテーマに番組を制作した。戦時中、多摩地区は立川飛行場などが点在する一大軍需工場地帯であった。そのため、何度も米軍の戦略爆撃の標的になったという。事実、多摩地区では、多摩市を除いたすべての市町村で戦争被害が確認されている。しかし、多摩が戦争被害のさかんな地域であったことは、あまり知られていない。それは、マスメディアが報道する戦争が、特定の地域に限定される傾向があるからかもしれない。「多摩に住む人たちにその事実を伝えたい」。番組を制作するにあたり、ある種の使命感が私の中に芽生えていた。今回の番組では、多摩地区に今もなお残されている戦争遺跡とそれらを後世に伝えようとする女性たちを取材した。

第16回周りを新興住宅に囲まれた一角に東京都立東大和南公園はあった。公園に入ると、平日の昼下がりにもかかわらず、たくさんの親子連れが楽しそうにピクニックをしていた。しかし、次の瞬間、そんなのどかな光景とは決してそぐわない建物が私の視線に入ってきた。「旧日立航空機立川工場変電所」と呼ばれるその建物は、戦時中に何度も米軍の爆撃を受けたという。そのため、壁には爆撃の傷跡が至る所に刻まれており、鉄筋が痛々しくも露出していた。変電所は、外壁の修復もほとんど行われず、当時のままの状態で保存されていたのだ。私は、公園で遊ぶ子供たちと「戦争の記憶」を残す建物とのはっきりとしたコントラストに、ただ驚きを隠せないでいた。まさに「戦争と平和」がそこにはあった。

変電所は、10年前に市文化財に指定された。私は、変電所を保存するため、長年に渡って、活動してきたある女性から話を聞くことにした。彼女は「若者が戦争に興味を持ってくれることはとても嬉しい」と話し、私の取材に協力的に応じてくれた。彼女自身、戦争を経験し、戦時中もずっと「早く戦争が終わってほしい」と願っていたという。また、最愛の父親を出征先で亡くしたという事実も、目に涙をためながら、私に話してくれた。彼女は「子供や孫たちに戦争を経験してほしくない。だから、戦争について考えるためにも変電所を残したかった」と強い眼差しで語ったのだった。私は、その言葉に彼女の強い意志を感じずにはいられなかった。
60回目の終戦記念日を迎えた2005年8月、番組は多摩地区で放送された。視聴者が何を感じ、何を想ったかはわからない。しかし、「多摩地区にも戦争があった」という事実を映像で残すことはできたと思う。建物であれ、人の想いであれ、後世に伝えていかなくてはならないものは、この世にたくさん存在している。私はこれからも、「それら」を残すため、映像を作り続けたい。
世界はますます混沌としている。しかし、それと比例するように、私が撮影したいものは、増えていく。

投稿者 webmaster : 2005年08月01日 12:00|

コメント

コメントしてください




保存しますか?