第16回「60年目の記憶 ~多摩地区に残る戦争の傷跡~」(2005年08月01日)

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「多摩探検隊」特別企画 「60年目の記憶 ~多摩地区に残る戦争の傷跡~」

今年は、終戦60年の節目の年である。 私たち「多摩探検隊」は、昨年5月の放送開始より、さまざまな「多摩に埋もれた魅力」を掘り起こしてきた。そして今回、「多摩探検隊」は、60回目の終戦記念日を迎える8月の放送に合わせ、「戦争と平和」を題材に「多摩地区の戦災」について取材を試みた。取材した場所は主に、東大和市にある「旧日立航空機立川工場変電所」と八王子市相即寺にある「ランドセル地蔵」である。 今となっては、戦争は「どこか違う世界で起こるもの」という認識が強くなってきたと感じる。また、戦争といえば「広島」、「長崎」、「沖縄」、「東京大空襲」などといったような特定の地域、事項しか注目を浴びず、マスメディアも、なかなかそれ以外を報道しない傾向があると思う。 しかし、私たちが生活するこの多摩地区にも、「戦争の歴史」は確かにあるのだ。今回の企画を通し、多摩地区の戦災に焦点を当てることで、自分の身近、日常にも「戦争の傷跡」が存在することを伝えていきたい。そして、「悲惨な過去」があってこそ、「平和な現在」があり、それが「未来」につながっていくことを再考するきっかけになればいいと考えている。

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第16回制作

<番組プロデューサー>石黒悠

<ディレクター・AD>
阿部公信 舘小路美保 山成耕太 廣田衣里子 荒井亮吉 木村拓 中島聡

ディレクター・阿部公信

今回、終戦記念日の8月に合わせ、「戦争と平和」をテーマに映像作品を制作した。 これまでの「多摩探検隊」は、どちらかといえば多摩地区の「明」の部分にスポットを当て、番組を制作してきた。しかし今回は、「戦争」という多摩地区の「暗」の部分を特集し、そこから「光」を見出そうとした。そういった意味で、今回の作品は、「多摩探検隊の可能性」を大きく広げたと思っている。 「戦争」というシリアスなテーマであるため、何を題材として扱うか、どう構成を立てるか、神経をとがらせた。結果的に、VTR完成まで構成を5回変えることになった。 また、取材を通して、かけがえのない出会いがあった。今回取材した二人の女性は、境遇は違うが、「60年前の戦争」を体験したことで、「戦争を子供たちや孫たちに体験してほしくない」という共通の想いを持っていた。そういった方々の話を、直接自分の耳で聞けたことは、よい経験となった。その中でも、戦争で父親を亡くしたという富山稔子さんの言葉が忘れられない。「戦争の傷跡は、死なないと消えない。戦争中は、平和になることをずっと夢見ていた。だから、平和な現在にこそ、戦争について考えてほしい」。 私は、作品が完成した後、その言葉を胸に「昭和史」という歴史の本を読んだ。「強い想いは、次へと連鎖する」、改めてそう思った取材だった。


番組プロデューサー・石黒 悠


今回『60年目の記憶』を制作するにあたり文献やインターネットで多摩の戦争の歴史を調べるうちに、私はその傷跡が自分の身近な場所に今なお数多く存在していることを知りました。事実、大学からモノレールで一本のお寺にある松の木には航空燃料として松根油を採取した跡がくっきり残っており、また河原のサイクリングロードの片隅には衝突事故を起こした復員列車の車輪がたたずんでいたりするのです。それは「戦争」を資料館や記念館でしか見たことのない私にとって、とても衝撃的なことでした。
しかしそれらの存在を知っている人というのは、もしかしたらそんなに多くないのかもしれません。「この数ある戦跡のうち、どれだけが世に知られているのだろう…」。高尾駅で朝の通勤の人ごみの中、その存在を知らせる看板もなくホームに残る銃弾跡をビデオカメラに収めながら私は疑問に思ってしまいました。
もしも今回私たちがこの作品を作ったことで、少しでも多くの人にこれらの事実を伝え、関心を持っていただくことができたなら、こんなに嬉しいことはありません。
戦争の事実を皆に伝え、後世に残していくのは、戦争体験者だけの仕事じゃない。私自身なんだ、そう思いました。

投稿者 webmaster : 2005年08月01日 12:00|

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