聖夜に生まれた幻の「アメリカ編」(2005年06月15日)

戸田 泰雅 (トダ ヤスマサ)
総合政策学部政策科学科
「多摩探検隊・アメリカ編」プロデューサー

目の前に広がるのはいつもと同じ映像編集ソフト。視線を少し左にそらすと外部モニタと化しているテレビ。もう少し左に向けると疲れ果てて寝込む友人達。そしてそのまま首を後ろに振り向けると松野先生がテレビ画面を注視している。ここは僕の部屋。時は2004年のクリスマス前夜。
「今回のタマタンはボストンからお送りします」。スピーカーから流れるレポーターの明るい声が編集中の番組の趣旨を全て物語っていた。そう、その月の「多摩探検隊」は11月初めにアメリカの市民放送局を取材してきた模様を放送するというものだった。内容は当然全て英語であり、“帰国子女”である僕がこの番組のまとめ役に任命されるのも当然の成り行きだった。

「多摩探検隊」の10分枠のうち、一部は未完成のまま。主な骨組みは出来あがっていたが、所々誤訳があったので、僕は主にそれの調整をした。未完成のコーナーはマサチューセッツ州内の4つの放送局を取材し、それぞれの編成担当者、(市民)番組制作者、そして代表者のインタビュー内容をつなぎ、日本語字幕をつけ、解説の必要な所はナレーションを吹き込むことで成り立っていた。こうして書くと単純な作業だが、早口のインタビュー内容を、短いが意味が伝わる文章に和訳し字幕をつけることなど、普段あまりしない。作業には細心の注意を払って行っており、大変な手間と忍耐が注がれていた。また、細かなところにも妥協を許さない松野先生は、番組中のナレーションの声色の変化を的確に指摘し、ナレーションの取り直しを命じた。ナレーションの声の持ち主である狩野君を午前3時ごろ召還し、がんばって取り直してもらったあと、僕は細かな字幕や音量などの調整を続けた。
インタビュー内容のテープ起こしとそれに続く和訳。2ヶ月にも及ぶ膨大な時間をかけたこの作業は、2004年12月24日の午前8時に松野先生の最終チェックが入り、完成した。そのままケーブル局へと持っていってもらい、僕のするべき仕事は無事終わったかにみえた。

しかしその後、残念ながらこのアメリカ版「多摩探検隊」は「『多摩』探検隊なのに多摩じゃない」、という単純であるがゆえに誰も真剣に考慮しなかった理由で、レギュラー枠では放送されず、後日特別に番外編として放送して頂くこととなった。もし見たいという方がいたら、「多摩探検隊」のホームページから是非ご覧頂きたい。

「多摩探検隊」の10分枠、そのたった10分のために私たちゼミ生は何十時間もの時間をかける。プロの編集者ならば10分間の番組を20分、いやもっと短時間ですばらしい作品を作るだろう。しかし、私たちは破滅的に要領が悪く、ただがむしゃらに作る事しか出来ないのである。それでも、どれほどプロの番組内容がすばらしかろうと、自分たちが苦労して作り上げた10分間ほど輝いては見えないだろう。なぜならば、「多摩探検隊」の1コマ1コマには僕たちゼミ生の真剣な思いが刻み込まれているからだ。

彼女もおらず、クリスマスに予定があるわけでもなかったが、二度と忘れられないクリスマスとなった。

投稿者 yukix : 2005年06月15日 12:00