ブッシュ再選、レッドソックス優勝、そして多摩探検隊アメリカへ。(2005年06月14日)

Masayuki Ogishima荻島 真之 (オギシマ マサユキ)
総合政策学部国際政策文化学科
「多摩探検隊」制作プロデューサー

「多摩探検隊 アメリカ編」についてはこちら

すべてが新鮮で、すべてが新しかった。
中央大学の学生が制作する番組、「多摩探検隊」がアメリカで放送されることになった。
10月29日、成田空港の出発ロビーで待つ私は、その時になって初めて、ことの重大さに気が付いた。アメリカに向かうのは先生を含めて8人。海外に初めて行く学生や、アメリカに住んでいたことのある学生と、皆それぞれ気持ちは違うものの、一学生が制作する番組がアメリカで放送されるという事の大きさを肌で感じ取っていたように思える。
訪問する予定のケーブルテレビ局は5つ。それぞれ担当を決定し、下調べを行った上での訪問で、私はBoston Neighborhood Network(以下BNN)という会社の担当としてアメリカに向かった。

ボストン私たちが訪れたのはマサチューセッツ州ボストン。ハーバード大学やMITをはじめとした学生の街として有名な都市である。ボストンまでに要した時間はおよそ14時間。軽い時差ボケを感じながら私たちがボストンに降り立ったのは、日も暮れた夕方18時過ぎ。空港を出ると、冬の到来を告げる風が私たちの眠気を吹き飛ばしてくれた。私自身、アメリカは初めてだったので目にするものすべてに感動していた。そんな私たちの前に現れたのは、アメリカで私たち多摩探検隊をサポートしてくれる先生の友人ボブさん。彼はこれから訪れるケーブルテレビ局、BNNの社員で、とても気さくな方だった。
そんな彼に案内され、私たちがまず向かったのは滞在先のホテル。空港からバスと地下鉄を乗り継いでの移動の最中に、ボブさんがボストンの地下鉄はアメリカで最も古い地下鉄だと言う事を教えてくれた。窓から見えるレンガ造りのボストンの街並みはまるで、その歴史の深さを物語っているようだった。ホテルについた私は、移動の疲れからか自室に入ると泥のように眠り、アメリカ1日目の夜を過ごした。

レッドソックス2日目、私たちは本来の目的であるテープの納品に行く前に、ボストン市内で行われているボストンレッドソックスの優勝パレードを取材することにした。レッドソックスがメジャーリーグで優勝するのは実に86年ぶりの快挙だそうで、ボストンの街はとても盛り上がっていた。パレードが行われる場所まで地下鉄で移動し、駅を降りるとそこには信じられないほどの人だかりが出来ていた。大勢の人が選手の姿を一目見ようと、パレードの行われる通りに集まってきたのだ。予想以上の人ごみに驚きながらも、私たちは必死にカメラを回し、地元の人にインタビューを試みた。当日の警備をしていた警察官の方にマイクを向け、「今の気分はいかがですか?」と拙い英語で問い掛けると、「Good(最高だね)」と短く答えてくれた。普段は厳格なイメージのあるアメリカの警察官の方も、この時ばかりはその優勝の喜びを噛み締めていたように思えた。まるで一生に一度のような体験をした後、私たちはボブさんに連れられ、本来の目的地であるBNNへと向かった。

ボストン市内にあるビルの2階にスタジオを構えるBNN。到着した私たちの目に真っ先に飛び込んできたのは、本格的な機材と、ガラス越しに見えるスタジオだった。その日は土曜日だったせいかあまり人影はなく、閑散としたBNNでボブさんが私たちに設備の説明を丁寧にしてくれた。一通りの説明が終わった後、ある提案がボブさんの口から告げられた。「スタジオで実際に撮ってみるかい?」 なんと、スタジオを使っても良いとのお許しを得ることが出来たのだ。早速私たちはこの滅多に無いチャンスを生かすため、次回の多摩探検隊の収録をしてしまおうと画策し、急いで撮影の準備に取り掛かった。撮影する内容は、多摩探検隊がアメリカにやってきたことを伝えるキャスターのコメントだ。まるでニュース番組のようなセットの中、今までにキャスターの経験がないという安易な理由で私がキャスターに選ばれてしまった。
BNNスタジオ普段は、慣れ親しんだ多摩の風景をバックにキャスターは自然な笑顔を振り撒きながら撮影は進められる。しかし今回は初めて訪れたボストンの風景をバックに、キャスターは慣れない照明を当てられ、3台ものカメラに囲まれながら不自然な笑顔を振り撒くのだ。初めから雰囲気に飲まれてしまった私に先生から注意の言葉がかかる。何度も取り直しが行われ、こんなにも自分は話すのが苦手なのかと、改めて不甲斐なさを感じた。納得のゆくカットが撮れぬまま、収録は終了した。スタジオで不自然な笑顔をばら撒くキャスターが映るテープは、もう二度と日の目を浴びることは無いだろう。その日、多摩探検隊のテープは渡せぬまま終わってしまったが、3日後の火曜日に納品することが決定した。
3日後の納品日までの間、私たちはその他のケーブルテレビ局への訪問を行った。ボストンで訪問するケーブルテレビ会社は4件、NYでは1件の予定だったが、都合上ボストン市内の訪問を1件減らす結果となってしまった。各局の担当になっていた私と同じゼミ生がしっかりと納品をしていく。その様子を横目で見ながら、アメリカで私たちの作った番組が流れるのか、とまだどこか他人事のような気分でいた私は、なぜか実感が湧かないままであった。そんな中、大統領選挙の模様をレポートしたり、ハーバード大学を見学したりと、ようやく慣れてきたアメリカを満喫していた。

そして迎えた3日後の朝。その日は大統領選挙の投票日で、ボストンの街もどこか慌しく動いていた。午後からBNNへと向かった私たちは、テープを渡すBNNのトップの方であるジムさんを待っていた。この日はボストンに滞在する最後の日で、次の日からニューヨークへ移動するため、その間にインタビューを撮ったり、選挙で盛り上がる街並みを撮影したりと、休む暇は無い。そしてようやくジムさんが現れ、私たちは早速インタビューの準備に取り掛かる。ジムさんはアメリカ人らしい体型と言ったら良いのだろうか、とても大きい方で、気の小さい私はまたしても雰囲気に飲まれてしまった。それでもなんとかインタビューを進め、最後に私たちが日本から持ってきたテープを手渡す時がきた。思えばついこの前に始まったばかりだと思っていた私たちの活動が、遠く海を越えて、アメリカでも放送されることになるとは、まさに夢にも思わなかった。テープを手渡し、ジムさんの大きな手と握手を交わす。その時になって、ようやく私は実感することが出来た。BNN自分が何をしにここまで来たのか、私たちがやっている事が何なのかが。多摩のケーブルテレビ局で流れている、大学生が作っている番組がアメリカで放送されるのだ。なんてすごいことをしているのだ!と叫びそうになるのを抑えながら、私は自分の担当している局に無事テープを届けられたことに安堵した。次の日、私たちはニューヨークに渡り、ニューヨークのケーブルテレビ局へも無事テープを納品することが出来た。慌しい1週間があっという間に過ぎ、私たちは日本へと帰国した。

今回、このプロジェクトに関わることが出来たことを非常に嬉しく思う。普通に旅行をしたのでは味わえない、アメリカの報道の裏側とまでは言えないものの、貴重な体験をすることが出来たことと、何より日本の大学生が作った番組がアメリカのケーブルテレビで放送されるという歴史的快挙とも言える場面に立ち会うことが出来たからだ。すべてが初体験だったアメリカ。私は何か変わることができたのだろうか。無事にテープを届け、エンパイアステートビルの屋上から見た景色を、私は忘れない。
ともかく、多摩探検隊アメリカに進出、である。

投稿者 webmaster : 2005年06月14日 12:40|

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