2分半に込められた「思い」たち(2005年06月02日)

石黒 悠 (イシグロ ハルカ)
総合政策学部国際政策文化学科
「お父さんにありがとう」ディレクター

私たちが制作している番組「多摩探検隊」には、『ありがとう』という名物コーナーがある。「自分の身近にいるけれど、普段はなかなか言えない『ありがとう』を、その人にカメラを通して伝えてもらおう」というのが主旨である。

『ありがとう』は、「多摩探検隊」が始まって以来、もう6回目を迎える。固定アングルで、同じテーマで何人かにインタビューをし、それを編集していく。構成としては、いたってシンプル。しかし、小学生のかわいさに思わず微笑んでしまったり、単身赴任のお父さんの妻への感謝の言葉にほろっときてしまったり、思いがけない感動をたくさん生んできた。今ではすっかり、「多摩探検隊」の人気コーナーになっている。
お父さんにありがとう 今回、6月放送分の番組プロデューサーからディレクターに指名されたのは4月下旬。「2分半程度の短編を作ってほしい」とのことだった。そうして思いついたのが『ありがとう』だ。これなら私にもできるだろう。それに、6月といえば父の日だから、『お父さんにありがとう』を撮ればいいやと、安易にやることを決めた。

撮影はゴールデンウィーク中。公園には多くの人がおり、取材対象に困ることもなく、何とか無事に撮影を終わらせることができた。家に帰って撮影した映像をパソコンに取り込んでいく。タイムラインに並べてみると、決められた2分半の尺は優に超えていた。これで予定の枠は埋めることができる。ほっとした。

しかし、編集作業を進める中、私の手はふと止まってしまった。数日前に話をした女友達のことを思い出したのだ。幼いころに両親が離婚したため、今は彼女の元に父親はいない。「もう慣れたけど、幸せそうな家族を見るとどうしたらいいのか分からなくなっちゃうことがあるんだよね…」。私は、彼女がそう言っていたのを思い出した。

「私の作品を見たらどう思うだろうか…」という思いが私の脳裏をよぎった。
私はこの作品で一体何が表現したいんだろう…。何も考えずに、ただただ2分半の枠を埋めることだけを考えていた。自分がとても恥ずかしかった。

どうすればいいんだろう。私はこのVTRを見るであろう様々な人の境遇に、思いを巡らせた。世の中にはいろんなお父さんがいて、その数だけお父さんへの思いがあるはずだ。遠い地で離れて暮らすお父さん、家庭の事情で一緒に暮らせないお父さん、もうこの世にはいないお父さん…。そんな様々な事情のある人たちの、お父さんへのメッセージも聞いてみたい。そんな映像こそ、私は撮らなければならないのではないだろうか、と思った。

翌日、気付くと、私はカメラと三脚を抱え、撮影場所の多摩センター中央公園に向かっていた。公園を歩き回っていると、木陰で休む60代の婦人を見つけた。この企画の趣旨を話すと、「私の父はもうとっくに亡くなっているから…」と、怪訝そうな答が返ってきた。私は、私の思いをすべて話した。すると、彼女は軽くうなづいて、承諾してくれた。
お父さんにありがとう彼女は、画用紙に茶色いクレヨンで、亡きお父さんの顔を書き始めた。麦わら帽子を被り、田んぼの中で懸命に働く姿。戦時中に5人の兄妹を一生懸命に育ててくれた父親へのありがとうだった。「お父さん、ありがとう」・・・、彼女が言い終えた後、私は静かにカメラのスイッチを切った。「言えてよかったわ」。彼女は満足そうな顔で、私にそう言った。

こうして「おとうさん、ありがとう」コーナーに、彼女の『ありがとう』は加えられた。
『ありがとう』。たった2分半のVTR。しかし、その中には、様々な人々の思いが込められている。そして、それらは2分半という時間の制約を超えて、時代を超えた永遠の思いとして、私たちの心に伝わってくる。
今、私にとって、『ありがとう』は、特別な存在となっている。

投稿者 webmaster : 2005年06月02日 15:00|

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