多摩の酒と私(2005年02月01日)

市瀬 さくら (イチノセ サクラ)
文学部文学科国文学専攻
「シリーズ多摩の酒」ディレクター

大学3年生の冬、周りは就職活動の真っ最中で皆がスーツを着込んで戦闘モードになっている時、私は東京にある酒蔵に夢中になっていた。

多摩の酒日本酒は水と米が命である。私が東京に住んでまだ間もない頃、水道水を試しに少し飲んでみた時に、実家の山梨の水とは違うカルキ臭さに思わず吐き出してしまい、それ以来飲み水は買ったものしか飲んでいない。しかし、実際に東京の水でも澄んでいるところがあり、酒づくりにも使われていると知った時の驚きは言い表せないほどであった。大都会東京といえば、アスファルトに囲まれた高層ビルをイメージしてしまう人が多い。私は酒づくりをしていることを、沢山の人に知って欲しいと思い「多摩の酒」の企画を出した。
 
東京には13の酒蔵があり、その多くは多摩地域にある。歴史を見ると、江戸時代の徳川幕府の時代から酒づくりが盛んであった。今回取材を行なったのは、「澤乃井」で知られている小澤酒造だ。最寄り駅である沢井駅は無人改札であり、目の前には緑の山々がり、空がとても青かったという印象がある。「澤乃井」は約300年の伝統を誇り、奥多摩から流れ着き敷地内にこんこんと湧き出る水を酒づくりの仕込み水としている。

多摩の酒12月に「澤乃井」の取材・撮影を行い、1月は編集に打ち込んだ。私はスーツを着ることなく、毎日カメラとテープを持ち歩いて朝から夜遅くまで編集する日々であった。私の中で、この作品が自分の納得が行くまで完成しない限り、就職活動も始めることはできないし、納得して就職活動を終えることなど絶対にできないと次第に思うようになってきた。一つのことを最後まで責任を持ってやり通すことは、社会人にとって当たり前である。就職活動があるからと言って、中途半端に作ることや途中で誰かに引き継いでしまおうという甘ったれた気持ちでは社会に通用する筈がない。そう思い奮い立つことで、何度も編集の駄目だしを受けた時も、「負けてたまるか」という根性で最後まで完成させることができた。

現在大学4年生の5月になり、就職活動も一段落ついて振り返ると、「多摩の酒」のシリーズの第1回目として酒蔵を紹介できたことは私の自信に繋がっている。就職先が決まった今、第2回目「多満自慢」の撮影に同行し、リポーターまでできたことはとても嬉しく思う。酒蔵を取材することで、そこに生きる人々の思いに触れることができた。酒づくりに対する情熱を目の前で見た時に、私も来年の4月から社会人として働くことを考え、仕事への情熱をいつまでも持っていたいと強く感じた。そして、「多摩の酒」は酒蔵があることを知らない人がいる限りこれからも続けていきたい。

投稿者 webmaster : 2005年02月01日 13:29|

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