着信音3(2004年08月01日)

狩野 智彦 (カノウ トモヒコ)
総合政策学部国際政策文化学科
「多摩探検隊」第4回番組プロデューサー

携帯電話が着信音3を鳴らした。

手に取ると、軽いはずの携帯電話が、ずっしりと重くなるのが分かった。着信音3は母からのメールが来たことを知らせる。その音は耳に入るというより、胸に刺さった。母と私は何でも話し合うような、そんなとりわけ仲がいい親子とは言えない。「母親と息子なんて、そういうものだ」と思い込んでいるのは、私だけだろうか。

なぜ母からのメールが胸に刺さったかと言えば、第4回多摩探検隊の番組プロデューサーという大役を任されてから、母への返信メールを蔑ろにしてしまっていたからだ。最後に母にメールを送った日を正確には覚えていないが、かなり前であることは確かだ。一人東京で生活する息子を想う母親の気持ちが分らないわけではない。心配するメールの返事を意図して返さなかったわけでもない。今思えば、第4回多摩探検隊の実質上の制作責任者である番組プロデューサーが担う課題と責任感で頭の中が一杯になっていて、メールを返信する心のゆとりがなかったためだったのかもしれない。

学校の閉門時刻である23時になると、行き詰った編集作業を泣く泣く途中でやめた。帰るのは大抵、終電間近だった。ふと、電車の窓に映る自分の顔を眺めたことがあった。毎日残業をしている人のように、目蓋が重そうに落ち、疲れた顔をしていた。そんな私に「白髪が増えた」というメールを送ってきた母を想像して、胸が痛んだ。

大役を終えると、仲間からたくさんの「お疲れ様」の声をもらった。第4回の多摩探検隊は、3年生の力をほとんど借りず、2年生が協力して作り上げた。多摩探検隊は3年生が試行錯誤して始めたプロジェクトだ。3年生や松野先生には、私が思った以上に心配させてしまったと思う。
程よい充実感と徒労感に包まれて、母にメールを送った。私は母を、3年生や先生以上に心配させてしまっただろう。細くなった母との繋がりを取り戻そうと、普段より長いメールを送った。返信ではなく、自分から送ったのだ。ろくに連絡もしなかった訳、今まで取り組んでいたものをやっとの思いで完成させたこと。学校から帰ってきた小学生がその日の出来事を夢中になって話すように、母にメールを送った。

母からの返信メールには、番組の感想、終えた役割に対するねぎらい、返信を怠った戒め、そして応援のメッセージが込められていた。母の言葉は何よりもうれしかった。このうれしさは、普段の生活ではなかなか感じることができないものだ。そんな言葉をかけてくれる母に対して、息子である私が今できる一番の親孝行は、心配させないことだと自戒の念を込めて思った。

この時を境に母とのやり取りは以前より盛んになっている。多摩探検隊の活動は結果として、私と母との繋がりを強くしてくれたのだった。今では重さを感じなくなった私の携帯電話は、母からのメールを知らせる着信音3を以前よりも多く鳴らしている。

投稿者 webmaster : 2004年08月01日 12:19|

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