「憲法9条ありがとう」の老人のこと(2004年06月01日)

中川 裕子 (ナカガワ ユウコ)
法学部政治学科
「ありがとう、ごめんなさい」AD

川岸で釣り糸を垂れる、青い着物を着た、麦藁帽子の老人。さらに近づいてみるとその顔には白く長いひげがたくわえられていて、まるで仙人のような風貌だった。年のころ、70歳ぐらいだろうか。5月の眩しい陽ざしのもと、彼の姿に、私は何十年も前にタイムスリップしたような気にさえなった。

話を聞くと、今日は鯉がたくさん釣れたのだと自慢げに話してくれた。本題の「多摩探検隊」の取材について話を切り出すと、ケーブルテレビのあり方から話は始まり、地方行政、市政、国政、イラク問題、戦後日本の話とその勢いはとどまるところを知らず、話は私の想像をはるかに超えた広がりを見せていった。

面白いコメントが取れそうだと思い早速、彼に「ありがとう、ごめんなさい」のコメントをカメラに向かってお願いしたところ、今の情勢もあってか「憲法第9条を作った人ありがとう」と意気揚々とコメント。続けて、憲法第9条への思い、戦争の恐ろしさを真剣に語ってくれた。

もちろん彼だけに取材をしたわけではない。このコーナーは、多摩地区に住む人たちにカメラに向かって「ありがとう、ごめんなさい」の気持ちを伝えてもらうもので、その他にも数人からコメントをもらっていた。しかし、彼の画があまりにもインパクトが強くかったので、彼のコメントを採用して完パケし、番組プロデューサーに提出した。

しかし、彼の「憲法第9条を作った人ありがとう」というコメントがゼミの会議で問題となった。つまり、憲法改正がタイムリーな問題となっている今、これを流すのは「公正を欠くのでは?」という意見が出たのだ。「ジャーナリストとして彼の意見は伝えるべき」、「彼の映像を放送するには、メリットよりもデメリットのほうが大きい」「放送の公正はどうなる」などの意見が出た。総合すると、「放送するべき」という意見のほうが多数派であったが、結局、先生の判断で彼のコメントが入ったものと入ってないものを多摩テレビに納品して、あとは編成担当者に判断をゆだねることとなった。しかし最終的には、放送法との関係や選挙前だったことを編成担当者は考慮したらしく、彼のコメントが入った映像は流れることはなかった。

とは言え、やはり彼のコメントが私の中で引っかかり続けた。彼のこの発言に対する思いは、彼の話をしていた様子を見るに、私たち戦争を知らない世代が想像のつかないような深い思いであることは明らかだったからだ。そして私は、彼が語ったたった4秒のコメントの背景にあるものに迫ってみたいと思った。連絡先を聞いていた私は、彼への再取材を決めた。電話でアポを取り、前回取材した場所で待ち合わせをした。

朝の10時、彼は杖を突きながらゆっくり現れた。そして、また釣りをしながら再取材に応じてくれた。早速、私はなぜ「憲法第9条を作った人ありがとう」とコメントしたのかについて質問した。すると、彼は「憲法第9条はアメリカによって作られたものだと言う人もいるが、決してそうではない」と切り出した。「そう簡単にできたものではなく、多くの犠牲の上に成り立った憲法である。例えば治安維持法の下、刑務所で厳しい拷問に耐えながら命を落としてまで戦争に反対した人たちの存在。またお国のために死ぬという教育の下、かわいい教え子たちを戦争に送って死なせてしまった先生たちの反省、後悔。空爆によって何もかもが破壊され、焼け野原になった状況下での無力感、喪失感。そうした当時の国民の思いが盛り込まれている。そして、そうした様々な犠牲・後悔を踏まえて戦争に反対するんだという強い誓いが憲法第9条には込められているのだ」。彼は力強く、そして目を潤ませながら話ってくれた。

気になったので、彼も戦争中に戦争反対を標榜していたのかどうかについても聞いてみた。すると「私もそのころは小学校6年生で、お国のために死ぬという教育を受けていた。だから、徴兵される前に終戦の知らせを聞いたときは、お国のために死ねなかったと泣きました」という答えが返ってきた。

私は個人的には「お国のために死ぬ」なんて理解できないし、北朝鮮の思想教育やロボットのような行進がテレビで報道されるたびに、いつもしらけて笑ってしまっていた。しかし、この様なことが60年ぐらい前に日本でも当たり前に起こっていたと思うと、さすがに怖くなった。

彼の話の幅はとても広く、話題は戦後の日本のことについても及んだ。話によると彼は元ジャーナリストで、終戦後すぐに東京の新聞社に就職したそうだ。若いころには色々な国を旅し、数年前に20年間生活したインドネシアから帰国してきたという。

最後に彼は、「人間は常に進化してきたし、これからも進化し続ける。平和とは人の幸せにどれだけ近づくかである。戦争は破壊であり、人殺しである。そのためにも憲法第9条は必要なものなのだ。憲法第9条の本来の誓いを忘れないために、次世代のためにも戦争という間違いを二度と起こさないように、憲法第9条は守り続けるべきである」と締めくくった。

取材を終えて、お礼を言うと、「いつもなら5、6匹鯉が釣れるんだよ」と、今日の成果(0匹)に悔しい顔をのぞかせた。ゆっくりと立ち上がり家路に向かう彼の姿は、力強い話し方とはうらはらなものではあったが、背中ににじみ出る平和への深く熱い思いを感じざるを得なかった。

戦争を知らない世代の私には、彼の戦争に対する思い、憲法第9条に対する思いは、頭では想像できても、その言葉の重みなり真意なりを実感でもって理解することは容易ではない。それは、私たちが、あまりにも平和な毎日を送ってきたからかもしれない。しかし、憲法第9条は、過去の誤りの反省から出来た誓いであると同時に、未来への誓いであるという彼の言葉は、私の心の中に確実に残ったことは間違いない。

憲法9条をめぐっては、国際貢献との絡みで様々な議論があるのは知っている。しかし、今回放送できなかった彼の言葉、「憲法9条を作った人ありがとう」とその背景について、どうしても活字で記しておきたいと思い、ペンを執った。

投稿者 webmaster : 2004年06月01日 11:52|

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