「プロジェクトT」から「多摩探検隊」へ(2004年05月01日)

小塚 悠美加 (コヅカ ユミカ)
文学部社会学科社会情報学コース
「多摩探検隊」制作プロデューサー


私たちが「多摩探検隊」を構想し始めたのは、二月十六日の鬼怒川合宿からでした。 このころはまだ「多摩探検隊」という番組名はなく、この活動は「プロジェクトT」と呼ばれていました。 またここまで大きな活動になるとは誰も想像していませんでした。そもそも、合宿の目的は、 まだお互いに気を使いあっていた状況を打破し、もっとジャーナリズムに興味がある仲間として親交を深めていこう、 というものでした。しかし、その合宿のなかで「プロジェクトT」をもう少し煮詰めたいという提案がありました。 モチベーションがあがっていた私たちは、いつにないスピードで構想を練り始めました。何もわからず手探りのまま、 その場の雰囲気もあり「やりたい」という気持ちだけでスタートさせた感じでした。

今考えると、無理のあるスケジュールでした。このころの私たちは、公の放送媒体を舞台に番組を制作するという活動を甘くみていたのかもしれません。合宿から帰ってきてすぐに三十分間のサンプル番組の制作を始めたのですが、三週間程度で完成できると考えていました。しかし当然のことながら、「これなら公共の電波に乗せられる」と先生に認めていただけるような番組は簡単にはできません。なんとか先生から合格をもらったのは多摩テレビに持っていかなければならない最終期限の数時間前でした。そして提出してから約十日後、どうにか多摩テレビから十分間の番組時間をいただくことができました。鬼怒川合宿から私の「番組を作る活動を運営する」という仕事がはじまりました。

これは、実際に番組内容を作るディレクターや番組プロデューサーと違って、プロジェクト全体をまとめていく仕事で、「制作プロデューサー」と呼ばれます。簡単に言うとマネジメント役という感じでしょうか。自分がこんなに責任の重い役割に就くとは思ってもいませんでした。

みんなが協力してひとつの作品をつくっている姿を見てうらやましくなることもありました。自分はこの番組作りに本当に参加しているのか不安になることもありました。そして何よりもこの活動をどう運営していくか本当に悩みました。今でも悩みが尽きることはありません。しかし、自分たちが企画から撮影、編集までこなした番組を放送に流していくという一連の作業を通して、多くのことを学んでいるのも事実です。すごいことをやっているという実感もあります。

この活動が今後、続いていくかどうかは私たちの代にかかっていると言っても過言ではないと思います。私たちがこの活動の第一線から退く日までにきちんとした「形」にして、引き継いでいきたいと思っています。

投稿者 webmaster : 2004年05月01日 11:30|

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